![『ハングル』... "権力の独占から人間の解放へ" [KAVE=パク・スナム記者]](https://d3b1sb04rdb9v3.cloudfront.net/?url=https%3A%2F%2Fpango-lingo-magazinekave-assetsbucket-ssdbworn.s3.amazonaws.com%2Farticle-images%2F2025-12-17%2Fb4568b21-fba5-44bf-b184-da27e098019d.jpg%3Fv%3D2&w=768&q=75)
文字が権力だった時代の暗闇
15世紀の朝鮮、文字はすなわち権力であった。漢字は単なる表記手段を超え、士大夫階級を支える鉄壁の要塞であった。難しい漢字を習得した者だけが科挙に合格し権力を握ることができ、複雑な法律を解釈して他人を支配することができた。文字を知らない民衆は不当なことに遭っても訴える術がなく、官庁の壁に貼られた掲示が自分の生死を分ける内容であっても、ただ無知のまま恐怖に震えるしかなかった。当時の知識は共有の対象ではなく、徹底した独占と排除の道具であった。
支配層にとって知識の普遍化は既得権の喪失を意味した。後にチェ・マンリをはじめとする儒学者たちが訓民正音の創製に激しく反対した論理の背後には、「どうして卑しい者たちと知識を共有するのか」という傲慢さと、自分たちだけの聖域が侵されるかもしれないという根源的な恐れがあった。彼らは「中国を仕える道理に反する」とか「蛮族の行いだ」と猛烈に批判したが、その本質は階級秩序の崩壊に対する恐怖であった。文字を知る民衆はもはや盲目的に服従しないからである。
吏読の限界とコミュニケーションの断絶
もちろん我々の言葉を表記しようとする試みが全くなかったわけではない。新羅時代から発達した吏読や郷札、口訣などは漢字の音と意味を借りて我々の言葉を記そうとした先祖たちの苦肉の策であった。しかしこれは根本的な解決策にはなり得なかった。チェ・マンリの上訴文にも現れているように、吏読は「自然言語を漢字で記録するもので、地域や方言によって表記が異なる」という限界が明確であった。
吏読は完全な文字ではなく、漢字という巨大な壁を越えなければアクセスできない「半端な」補助手段に過ぎなかった。吏読を習得するためにも依然として数千字の漢字を知る必要があり、一般の民衆にとっては絵に描いた餅に等しかった。さらに吏読は行政実務のための堅苦しい文体であり、民衆の生き生きとした生活や感情、彼らの口から出る歌や嘆きを表現するにはその器があまりにも粗く狭かった。コミュニケーションの道具が不完全であることはすなわち社会的関係の断絶を意味し、民衆の声が王に届かない「言路の動脈硬化」を引き起こした。
愛民、スローガンではなく政策... 革命的福祉実験
我々が世宗を「大王」と称賛するのは、彼が単に領土を広げたり華麗な宮殿を建てたからではない。歴代の君主の中で世宗ほど徹底的に「人」に向かっていた指導者は稀である。彼の愛民精神は抽象的な儒教的徳目ではなく、民衆の生活を具体的に改善しようとする急進的な社会政策として現れた。その中でも訓民正音創製の思想的背景を最もよく示す事例が「奴婢出産休暇」制度である。
当時、奴婢は「話す獣」として扱われ、財産目録に載せられる時代であった。しかし世宗の視点は異なっていた。1426年(世宗8年)、彼は官婢(官庁の女奴)が子供を産むと100日の休暇を与えるよう命じた。しかし世宗の細やかさはここで止まらなかった。1434年(世宗16年)、彼は「産婦が子供を産んで直ちに勤務し、体を整えられずに死ぬ場合がある」として出産前30日の休暇を追加で付与した。合計130日の休暇。これは現代韓国の労働基準法が保障する出産休暇(90日)よりも長い破格の期間であった。
さらに衝撃的なのは夫に対する配慮であった。世宗は産婦を看護する人が必要であることを認識し、夫である官奴にも30日の休暇を与えて妻を看護させた。ヨーロッパや中国、どの文明圏でも15世紀に奴婢の夫に有給出産休暇を与えたという記録は見つからない。これは世宗が奴婢を単なる労働力ではなく、天賦の人権を持つ「家庭の構成員」として認識していたことを示している。訓民正音はまさにこのような思想の延長線上にある。奴婢に休暇を与えて「生物学的生命」を守らせたように、文字を与えて彼らの「社会的生命」を守ろうとしたのである。
17万人に問う... 朝鮮初の国民投票
世宗のコミュニケーション方式は一方的な下達(トップダウン)ではなかった。彼は国家の重大事を決定する際に民衆の意見を問う手続きを恐れなかった。土地税法である「貢法」を制定する際の逸話は彼の民主的リーダーシップを証明する。
1430年(世宗12年)、戸曹で税法改革案が出されると世宗はなんと5ヶ月にわたって全国の民衆に賛否を問う世論調査を実施した。官吏から田舎の村人まで、総計17万2,806人がこの投票に参加した。当時の朝鮮人口が約69万人であったことを考慮すると、成人男性のほとんどが参加した実質的な「国民投票」であった。結果は賛成98,657人(57.1%)、反対74,149人(42.9%)であった。
興味深いのは地域別の反応であった。肥沃な土地を持つ慶尚道と全羅道では賛成が圧倒的であったが、土地が痩せた平安道と咸吉道では反対が多かった。世宗は多数決で押し通さなかった。反対する地域の事情を考慮し、土地の肥沃度とその年の豊凶に応じて税金を変える合理的な代案(田分6等法、年分9等法)を用意するのに数年をさらに投資した。このように民衆の声を傾聴していた君主にとって、彼らの声を収める「器」である文字の不在は耐え難い矛盾であり苦痛であったに違いない。
深夜の苦悩、親政の秘密
世宗は訓民正音の創製過程を徹底的に秘密にした。実録には訓民正音の創製に関する議論過程がほとんど記録されておらず、1443年12月に「王が親しく言文28字を作られた」という短い記録で突然登場する。これは既得権勢力である士大夫の反発を予想し、集賢殿の学者たちさえも知らずに王と王室家族が主導して密かに研究を進めたことを示唆している。世宗晩年、彼は深刻な眼疾と糖尿病の合併症で苦しんでいた。視界が悪い状況でも彼は民衆のための文字を作るために夜を徹していた。訓民正音は天才の閃きによる結果物ではなく、病んだ王が自らの命を削って作り上げた献身的な闘争の産物であった。
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人間工学的設計... 発音器官を模倣する
訓民正音は世界の文字史上類を見ない「発音器官象形」の原理で作られた。ほとんどの文字が物の形を模倣したり(象形文字)、既存の文字を変形して作られたのとは異なり、ハングルは音が作られる人間の生物学的メカニズムを分析して視覚化した「音の地図」である。〈訓民正音解例本〉はこの科学的原理を明快に説明している。
初声の基本字5字は発音する際の口腔構造をX線で撮影するように描き出した。
牙音(ㄱ): 舌の根が喉を塞ぐ形(君の初声)。これは軟口蓋音の調音位置を正確に捉えたものである。
舌音(ㄴ): 舌が上歯茎に付く形(那の初声)。舌の先が歯槽(歯茎)に触れる様子を形象化した。
唇音(ㅁ): 口(唇)の形(彌の初声)。唇が閉じて開く形を模倣した。
歯音(ㅅ): 歯の形(戌の初声)。歯の間から風が漏れ出る音の特性を反映した。
喉音(ㅇ): 喉の形(欲の初声)。音が喉を通って響き出る形である。
この5つの基本字を基に音の強さに応じて画を加える「加画の原理」が適用される。「ㄱ」に画を加えると音が強くなる「ㅋ」になり、「ㄴ」に画を加えると「ㄷ」、さらに加えると「ㅌ」になるという具合である。これは音韻学的に同じ系列の音(調音位置が同じ音)が形態的にも類似性を持つようにしたもので、現代の言語学者も感嘆する体系的なシステムである。学ぶ人は基本字5字を習得すれば残りの文字を直感的に推測することができる。
天地人... 宇宙を込めた母音
子音が人間の体(発音器官)を模倣したならば、母音は人間が生きる宇宙を込めた。世宗は性理学的世界観である天、地、人の三才を形象化して母音を設計した。
天(·): 丸い空の形(陽性母音の基本)
地(ㅡ): 平らな地の形(陰性母音の基本)
人(ㅣ): 地上に立つ人の形(中性母音の基本)
この三つの単純な記号を組み合わせ(合用)ることで数多くの母音を作り出した。「·」と「ㅡ」が出会うと「ㅗ」、「·」と「ㅣ」が出会うと「ㅏ」になるという具合である。これは最も単純な要素(点、線)で最も複雑な音の世界を表現した「ミニマリズム」の極致である。また、天(陽)と地(陰)の間に人(中)が調和を成すという哲学的メッセージは、ハングルが単なる機能的道具を超えて人本主義哲学を込めていることを示している。このような母音体系は現代デジタル機器の入力方式(天地人キーボード)にもそのまま適用されるほど未来志向的である。600年前の哲学が今日の技術と出会う接点である。
チェ・マンリの反対上訴... 「蛮族になろうとするのですか」
1444年2月20日、集賢殿副提学チェ・マンリをはじめとする7人の学者が連名で訓民正音反対上訴を提出する。この上訴文は当時の支配エリートたちの世界観とハングル創製に対する恐れを赤裸々に示す歴史的文書である。彼らの反対論理は大きく三つに要約される。
第一に、事大の名分である。「中国を仕える道理において、独自の文字を作るのは蛮族のすることであり、大国(明)の嘲笑を買うだろう」という主張であった。彼らにとって文明はすなわち漢字文化圏に属することであり、これを外れることは野蛮への回帰であった。第二に、学問の衰退の懸念である。「言文は学びやすく、これを習得すると性理学のような難しい学問をしなくなり人材が減るだろう」というエリート主義的視点である。第三に、政治的危険性である。「ましてや万が一にも政治する道理に益することがないのに... 実に市民の学業に損失であります」と主張した。
しかし彼らが本当に恐れたのは「簡単な文字」そのものであった。チョン・インジが序文で明らかにしたように「賢い者は朝のうちに悟り、愚かな者でも十日で学べる」文字であった。文字が簡単になれば誰もが法律を知り、誰もが自分の考えを表現するようになる。これは士大夫が独占していた「情報」と「解釈の権力」が崩れることを意味した。チェ・マンリの上訴は単なる保守主義ではなく、既得権防衛論理の頂点であった。
世宗の反撃: 「お前たちは韻書を知っているのか」
世宗は普段から臣下の意見を尊重する討論の帝王であったが、この問題に関しては譲らなかった。彼はチェ・マンリらに「お前たちは韻書(音韻学)を知っているのか? 四声七音の字母がいくつあるか知っているのか?」と学問的無知を叱責した。これは世宗がハングルを単なる「便利な道具」ではなく、音韻学的原理に基づいた高度な科学的体系として設計したことを示す場面である。
世宗は「薛聰の吏読は民を安んじようとするものではないか? 私もまた民を安んじようとするのだ」と「愛民」というより大きな名分で士大夫の「事大」名分を抑えた。彼はハングルを通じて民衆が不当な刑罰を避け(法律知識の普及)、自分の意志を広げるようにしようという明確な政治的目的を持っていた。これは朝鮮王朝史上最も激しかった知的、政治的闘争の一つであった。
燕山君の弾圧と言文の生存
世宗の死後、ハングルは苛酷な試練を受けた。特に暴君燕山君はハングルが持つ「告発の力」を恐れた。1504年、自分の乱行と不孝を批判する匿名の投書がハングルで書かれ各地に貼られると、燕山君は激怒した。彼は即座に「言文を教えず学ばせず、既に学んだ者は使わせるな」という前代未聞の「言文禁止令」を出した。ハングルの書籍をすべて集めて焼き(焚書)、ハングルを知る者を摘発して拷問した。この時からハングルは公式な文字の地位から追いやられ「言文(卑しい文字)」、「暗文字(女たちが使う文字)」と蔑まれた。
蘇る声... 民衆が守った文字
しかし権力の刃でも既に民衆の舌と指先に染み込んだ文字を取り除くことはできなかった。閨房の女性たちは内房歌詞(閨房歌詞)を通じて自分の生活と恨をハングルで記録し、仏教界は仏経をハングルで翻訳(言解)して民衆布教に先立った。庶民たちはハングル小説を読みながら泣き笑い、手紙を通じて消息を伝えた。さらには王室内部でも王妃や公主たちが密かにハングルの手紙をやり取りし、宣祖や正祖のような王たちも私的な手紙ではハングルを好んで使用した。
権力が公式に捨てた文字を民衆が拾って抱えたのである。これはハングルが単なる上からの下達(トップダウン)文字ではなく、民衆の生活の中で根を下ろし下から(ボトムアップ)生命力を得た文字であることを証明する。このしぶとい生命力は後に日本の植民地時代というさらに大きな試練を乗り越える原動力となった。
日本植民地時代、民族抹殺統治と朝鮮語学会
1910年、国権を奪われた日本は「民族抹殺政策」の一環として我々の言葉と文字を徹底的に弾圧した。1930年代後半からは学校で韓国語の使用を全面禁止し日本語の使用を強要(国語常用政策)し、創氏改名を通じて名前までも日本式に変えさせた。言葉が消えれば民族の魂も消えるという絶体絶命の危機感の中で、ジュ・シギョンの弟子たちを中心に「朝鮮語学会」が結成された。
彼らの目標はただ一つ、我々の言葉「辞書」を作ることであった。辞書を作るということは散らばった我々の言葉を集めて標準を立て、言語の独立を宣言する行為であった。1929年に始まったこの巨大なプロジェクトは「말모이(言葉を集める)作戦」と呼ばれた。これは数人の知識人の作業ではなかった。朝鮮語学会は雑誌〈ハングル〉を通じて全国の国民に訴えた。「地方の言葉を掘り起こして送ってください。」すると奇跡が起こった。全国各地の老若男女が自分が使う方言、土着語、固有語を書いて朝鮮語学会に送った。数千通の手紙が殺到した。これは単なる語彙収集ではなく、全国民が参加した全国的な言語独立運動であった。
33人の犠牲とソウル駅倉庫の奇跡
しかし日本の監視は執拗であった。1942年、日本は咸興永生高等普通学校の学生の日記から「国語を使って叱られた」という文句を口実に「朝鮮語学会事件」を捏造した。イ・グクロ、チェ・ヒョンベ、イ・ヒスンなど主要学者33人が逮捕され、苛酷な拷問を受けた。イ・ユンジェ、ハン・ジン先生はついに獄中で殉国した。
さらに悲痛なのは彼らが13年間血と汗を流して集めた「朝鮮語大辞典」原稿2万6,500余枚が証拠物として押収され消えたという事実であった。1945年に解放されたが、原稿がなければ辞書を出版することはできなかった。学者たちは茫然自失した。ところが1945年9月8日、嘘のようなことが起こった。ソウル駅朝鮮通運倉庫の隅で捨てられた紙の束が発見されたのである。まさに日本が廃紙処分しようとして放置していたその「朝鮮語大辞典」原稿であった。
暗い倉庫の埃の中に埋もれていたその原稿の束は単なる紙ではなかった。それは拷問の中でも我々の言葉を守ろうとした先烈たちの血であり、国を失った民衆が一字一字書いて送った願いであった。この劇的な発見がなければ、我々は今日のように豊かで美しい我々の言葉の語彙を享受できなかったかもしれない。この原稿は現在大韓民国の宝物に指定され、その日の激しかった闘争を証言している。
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AIと最も親しい文字... 世宗のアルゴリズム
21世紀、ハングルはまた別の革命の中心に立っている。まさにデジタルと人工知能(AI)の時代である。ハングルの構造的特性は現代コンピュータ工学と驚くほど一致する。ハングルは子音と母音という要素(音素)を組み合わせて文字(音節)を作るモジュール式構造を持っている。初声19字、中声21字、終声27字を組み合わせると理論的に11,172字の異なる音を表現することができる。これは数万の完成形文字を別々に入力しコーディングしなければならない漢字や、不規則な発音体系を持つ英語に比べて情報入力速度と処理効率性で圧倒的な優位を占める。
特に生成型AIが自然言語を処理し学習するにあたってもハングルの論理的構造は大きな強みを持つ。規則的な字作りの原理(象形+加画+合用)のおかげでAIが言語のパターンを分析しやすく、比較的少ないデータでも自然な文章を生成することができる。世宗が600年前に筆で設計した「アルゴリズム」が今日の最先端半導体とサーバーの中で再び花を咲かせているのである。ハングルは単なる過去の遺産ではなく、未来のための最も効率的な「デジタルプロトコル」である。
世界が認めた記録遺産... 人類の資産
1997年、ユネスコは訓民正音を「世界記録遺産」に指定した。全世界には数千の言語と数十の文字があるが、文字を作った人(世宗)と創製時期(1443年)、創製原理、そして使用法を詳細に説明した解説書(訓民正音解例本)が原形のまま残っている文字はハングルが唯一である。
これはハングルが自然発生的に進化した文字ではなく、高度な知的能力と哲学を基に綿密に企画され発明された「知的創造物」であることを世界が公認したものである。ノーベル文学賞受賞者のパール・バック女史はハングルを「全世界で最も単純でありながら最も優れた文字」と称賛し、「世宗は韓国のレオナルド・ダ・ヴィンチだ」と絶賛した。文盲撲滅に貢献した個人や団体に贈られるユネスコ賞の名前が「世宗大王文解賞」であるのは決して偶然ではない。
世宗がハングルを作ったのは単に民衆が手紙を書き農業を学ぶための実用的な目的だけではなかった。それは民衆に「声」を返すためであった。不当であれば不当だと叫び、理不尽であれば理不尽だと記録させ、彼らを沈黙の牢獄から解放しようとする急進的な人権宣言であった。
日本植民地時代、朝鮮語学会の先烈たちが命を懸け、全国の民衆がくしゃくしゃの手紙で方言を集めて送ったのも同じである。それは単に辞書を作ることではなかった。日本語という帝国の言語に押しつぶされ窒息していく民族の「精神」と「魂」を守るための切実な闘争であった。今日、我々がスマートフォンで自由にメッセージを送り、インターネットに自分の意見を残せるのは600年の時間の中で権力と戦い、抑圧に耐え、ついに生き残った人々の血と汗のおかげである。
ハングルは単なる文字ではない。それは「民を哀れんで」始まった愛の記録であり、「すべての人が簡単に習得し」世界の主人になろうとした民主主義の原型である。しかし我々はこの偉大な遺産をあまりにも当然のように享受しているのではないか。現代社会の至る所には依然として疎外された人々の沈黙が存在する。韓国社会の移住労働者たち、障害者たち、貧困層... 彼らの声は果たして我々社会の中心部に正しく伝わっているのか。
世宗が夢見た世界はすべての民が自分の意志を十分に広げる(伸)世界であった。我々がハングルを誇りに思うことにとどまらず、この文字で今の時代の「失われた声(声を失った者たちの声)」を記録し代弁するとき、初めて訓民正音の創製精神は完成するであろう。歴史は単に記録する者のものではなく、その記録を記憶し、行動し、声を上げて叫ぶ者のものである。

